

ガードパイプの向こうが国道4号線。

NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年)など多くのヒット作を手がけた脚本家のジェームス三木(本名:山下清泉=やました・きよもと=)さんが6月14日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。享年91。<Yahooニュース>
伊達政宗にまつわる大きな戦いが、わたしの家から1キロ足らずの場所にあり、ドラマ「独眼竜政宗」の中では鬼庭左月(おににわさげつ)役の「いかりや長介」が戦死したというところらしいのですが、わたしは過去に行ったことすら覚えてはいないのです。
そこで、先日自転車に乗って現地を訪れてみました。

これが、「人取橋(ひととりばし)の戦い」において、伊達政宗を安全に陣内(現、日輪寺)から本宮城(現、安達太良神社)に戻すために、自らが犠牲になって敵陣に攻め入った伊達家重鎮「鬼庭左月」の墓(後に子孫が建てた)といわれるものです。
★古くから関東と東北を結ぶ主要街道が通じ、仙道(せんどう)または山道(さんどう)とも呼ばれた。
史跡には2つの説明板がありました。
ひとつは「人取橋の戦い」のあらまし

ネットには詳しい「人取橋の戦い」の情報が沢山ありますから、ご興味のある方はぜひご覧になってみてください。
もう一つは「鬼庭左月(茂庭左月)」の最後が・・・

(代々伊達家に仕えた鬼庭家でしたが、後に「鬼が庭にいるのは不吉」として秀吉から「茂庭」に改姓させられたということです)

安達太良連峰や大名倉山を望むこのような場所で大きな戦いが行われたんですね。

丸印の橋のある辺に、かつては「人取橋」といわれる橋もあったのでしょう・・・

これがその橋です。

橋の名前はここで最後を遂げた「茂庭左月」に因んでか「茂庭橋」となっていました。「人取橋」となっていれば分かりやすいのでしょうが、それでは気味が悪すぎて渡る人がいなくなってしまうかも知れないですからね。
しかし、思えばどうして瀬戸川に架かっていたこの橋が「人取橋」なんて呼ばれたいたんでしょうね。今度はそこが知りたくなりました。